令和の今こそ刺さる!三宅香帆がハマる「福澤諭吉」の知られざる文章力 https://youtube.com/shorts/SCgddUbwDsU?si=3TLsLYFjw4NRKWlK @YouTubeより
福沢諭吉はその通貨論が重要なのだが政治論、文明論に興味がある人には逆に読まれていない。
小浜逸郎『まだMMT理論を知らない貧困大国日本 新しい「学問のすゝめ」』(2020)では
福沢諭吉の『通貨論』1878が重視されている。
《それ(通貨)が大切なのは、その質にあるのではなくて、働き(機能)にある。金銀と紙とは質が異なっていても働きに何の違いもない。だから紙でも大丈夫であることには異論のさしはさむ余地はない》
原文は旧大正版福沢全集5,7頁、
《しかりしこうしてその大切なる由縁は、 品の質にあらずして その働きにあるものなり。 今、金銀と紙とその質は異なれども、 これを貨幣に用いて 働きに異なる所あらざれば、 紙を大丈夫なりと言いて 毫も異論あるべからず。》
(通貨論1878~~近年の福沢諭吉著作集では〈第6巻〉民間経済録・実業論に所収)
福沢諭吉が現代貨幣理論と最も接近するのは表券主義的信用貨幣論においてではなく
以下の認識においてであろう。
「天下一夫も仕事を得ざるものなからしむる」(「外債論」1885)
著作集6解説377頁(大正版全集9,48頁)より
大隈、福沢は緊縮策に反対し、特に福沢は外債に頼るべきとした。
外債論に関しては竹森俊平の以下の引用があった。
《「…一家の世帯と一国の経済は違うもので、政府が目的とするべきことは、ただ全国の人民がその知力のあるかぎり、腕力のあるかぎり、心身を働かせて、天然の物に人為を加え、それによって人間の快楽が多くなるようなそういう仕組みを作り、また自然にそういう仕組みがある場合にはそれを妨害しないことにある。その生産活動から生じた利益が誰の手に落ちようとも、自国内にあるならばそれで満足するべきである。政府は極貧にして借金が山のようにあっても、人民が豊かなら少しも心配することはない。なぜならば、その借金はすなわち人民の借金なのだから、払おうと思えばいつでも容易に払うことができるからである。」(福澤全集第10[=誤,正確には9]巻 一九二五~一九二六年 國民図書)
この文章が明確に述べているように、人的資源をフルに活動させることこそが、経済政策の目的であるべきだというのが福沢の主張である。財政が緊縮型か、積極型かによって、その目的の達成に違いが出てくることも、福沢はもちろん認識していた。それで、この文章のように赤字財政でも構わないという主張をするわけである。それはもちろん福沢の目的意識が、「自分は、国中に身体障害者や病人の他は、手を空しくしている者が一人でも少ないことを望む」というところにあったからである。》
(『デフレは三度来(きた)る上第三章 松方正義と金本位制』79頁)
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