プルードンの私的所有批判
いかにすれば生産手段の社会化を実現できるのか──。私にとってこのことは若い頃からずっと考えてきた課題でした。当然ながらその研究はマルクスを出発点に始まりましたが、やがてマルクスにとって生涯の敵であったプルードンを研究することでひとつの答えにたどり着くことができました。
スミスやリカードなど古典派の経済学者たちが当然の前提と考え、疑問を持つことさえなかった私的所有を初めて問題化し、批判した思想家は、実はマルクスではありませんでした。プルードンが、主著『所有とは何か』の中で「所有、それは盗みである」と批判することで、初めて問題になったことなのです。
そしてそのことをマルクス自身も当初は認めていました。マルクスは若き日の著作『聖家族』で、プルードンのことを現実の経済問題の本質にするどく迫り、経済学の根本的前提を覆し、新しい社会を提示した画期的思想家であるとまで絶賛しているのです。
ただここがマルクスという人のある種人間的嫌らしさでもあるのですが、彼は後にプルードンと敵対関係になると、プルードン以前に私的所有制度を批判した人物がいるはずだと考えるようになり、18世紀後半にシモン・ニコラ・アンリ・ランゲ(1736‐1794)というフランスの著述家が『市民法理論』の中で私的所有を批判しているのを探し出しました。それをもとにマルクスは、プルードンはランゲの二番煎じでしかない二流の思想家であり、プルードンはランゲの著作を読んで自著に引き写したにすぎないとこき下ろしたのです。
しかしそれはマルクスの言いがかりでした。後世の研究により、プルードンが『所有とは何か』を書いた時点では、ランゲを読んでさえいなかったことは確実であるとわかっていますし、そもそもランゲが言っている私的所有と、プルードンが言っている私的所有では問題の水準が全く違うからです。
そのような言いがかりをつけておきながらマルクスは、プルードンが指摘した決定的に重要な事項については自らの『経済学・哲学草稿』の中の「疎外された労働」の国民経済学を批判する冒頭の第二パラグラフでちゃっかり引き写しをしました。マルクスはここで、 「国民経済学は私有財産という事実から出発する。だが国民経済学はわれわれに、この事実を解明してくれない。国民経済学は、私有財産が現実のなかでたどってゆく物質的過程を、一般的で抽象的な公式で捉える。その場合これらの公式は、国民経済学にとって法則として通用するのである。国民経済学は、これらの法則を概念的に把握しない。すなわちそれは、これらの法則がどのようにして私有財産の本質から生まれてくるかを確証しようとしないのである」 と書いているのですが、これはプルードンのそっくりそのままの借用だったのです。
現代であれば「パクった」と言われ、盛大に炎上しているところです。
フランス革命が隠蔽していたもの
プルードンの私的所有批判は、彼のフランス革命批判の文脈で行われたものでした。プルードンによればフランス革命は本来、私的所有を実現するために起こされた革命であり、資本主義はある意味でフランス革命によって生まれた制度でした。
フランス革命において唱えられたスローガンが日本語では「自由・平等・友愛(もしくは博愛)」と訳される「Liberté, Égalité, Fraternité」であり、これは現在もフランスの標語として引き継がれていることは非常に有名ですが、フランス革命はもともとこの3つの理念だけでなく「私的所有」と「安全」も実現すべき基本的な理念として掲げており、それはフランス人権宣言に明記されています。しかしフランス革命を主導したブルジョワジーたちはこの2つをスローガンから敢えて外し、目立たなくすることで、自分たちにとっては最も重要な革命の目的を隠蔽することに成功したのだとプルードンは言います。
「自由・平等・友愛」と「私的所有・安全」の5つの関係は、私的所有を他の4つの中心軸に据えることで明瞭化します。「自由」は私的所有を実現するための自由、「友愛」もまた私的所有を目指す者、もしくは実現した者同士の間で便宜を図り合うためには必要です。「平等」は「結果の平等」であればブルジョワジーにとっては歓迎しがたいものですが、「機会の平等」であれば私的所有を得るためには重要な要素です。
そして「安全」もまた、私的所有を成し遂げたブルジョワジーが自分たちの資産を奪われずに済むために必要なものです。
このように私的所有を軸として他の4つの要素を見れば、ブルジョワジーたちがごく現実的、具体的な必要性から欲していたことはすぐにわかるのですが、軸となる私的所有を隠蔽したことで、自由・平等・友愛はすべて抽象的な理念のような装いに変わりました。プルードンはこの隠されたつながりを暴き出したのです。
ただプルードンの私的所有批判が彼のフランス革命批判の文脈からなされ、彼の問題意識も結局はその範囲にとどまったのに対して、マルクスは私的所有が資本主義経済の根本問題であるということも見抜いていました。この点でやはりマルクスとプルードンの思想家としてのスケールの違いは明らかです。
しかしだからといって、私的所有を史上初めて正面から批判したプルードンの功績が揺らぐわけでもありません。
集合的労働の可能性
では、マルクスとプルードンの決定的な違いとは何でしょうか。
プルードンの強い影響のもと経済学を学んだマルクスでしたが、やがてプルードンへの攻撃を始めました。マルクスがプルードン批判の最大の根拠としたのは、彼の集合的労働論でした。
資本の生産過程において、労働者の労働によって生み出される価値(剰余価値)が資本家に搾取されて利潤となることに関しては、マルクスもプルードンも考え方は共通しています。しかしマルクスとプルードンでは、その搾取の構図が異なりました。
マルクスは剰余価値を、労働者自身の労働力の価値(賃金)を超えて生み出されるもので、その搾取は労働者が働くとされている労働時間で生み出した価値のうちの一定割合(つまり一定時間分)を資本家が横取りすることでなされると考えました。
それに対してプルードンは、労働者は集団で働くことで個人の労働の合計を超える力(集合力)を生むが、資本家は個人の労働に対してしか支払わないから、集合力と支払われた賃金との差額が利潤として資本家の手に入ると考えました。
一人ひとりの労働で生み出される剰余価値が100だとしても、労働者は共同で働くことで200や300といった剰余価値を作り出すのであり、これに対して資本家は個人で作り出せる剰余価値分100しか払わないから搾取が成立するというわけです。
はっきり言えばプルードンの考える剰余価値のモデルは経済学的に意味がある話ではなく、搾取のプロセスもマルクスの論の方が正解です。
しかしプルードンの考えた剰余価値論には一面の真実も含まれています。それは集合的労働を行う時、労働者は「みんなで」労働しているということです。 「みんなで労働する」とは、その労働によって作り出した価値もまた「みんなのもの」であるということであり、その価値を横取りされるのは、「みんなが奪われ」ているということでもあります。マルクスの理論では、労働者は個々に資本家から搾取されていました。しかしプルードンの理論では、労働者たちが集合的労働で生み出した剰余価値は、集団的に奪われていました。この2つは決定的に異なります。
そしてプルードンは、労働者たちが自分たちの集合力によって生み出した価値すべてを自分たちのものにするのは当然なのに、資本家がそれを盗む(搾取する)ことができるのは、資本家が生産手段を所有しているからだと考え、さらにこの盗みをやめさせるためには労働者たち自らが生産手段を所有しなければいけないと考えました。
労働者が働き、モノを生産する現場では、労働者が自分で動かす機械の調子を見ては、少し汚れているところを掃除したり、道具を手入れしたりといったことを日常的に行うのが普通です。しかし資本家はそうしたことさえしないのに生産手段を所有している。これは不当であり、盗みなのだというわけです。
しかしそうであればこそこの世から資本家がいなくなり、工場の機械にしても農具にしても発電機にしても、それらを使い剰余価値を生み出している労働者自身の所有物にできるのであれば、より緻密に管理し故障箇所があれば率先して直すなど今まで以上に大切に扱うようになるはずだし、こうした自主管理がなされることにより、より大きな剰余価値が生み出されるはずであるというのです。
したがってプルードンが想定しているのは、レーニンがソ連で行ったような生産手段の国有化ではなく、労働者がこれらを自主管理し自分自身の責任においてしっかりと機能させるあり方です。この自主管理を、工場やそれ以外の企業、農場、銀行、学校、病院など、より広い領域へと拡張していくのが社会化です。
先ほどの国立大学の例で言えば、大学が社会化された共有財産であるなら、その設備や制度に何らかのほころびが出ていれば教員だけでなく学生や周辺の住民も参加して、自分たちの力でどうにかして直そうとするでしょう。
しかし国有化でしかないなら、「どうせ国がやりたいようにやるのだから自分たちは余計なことはしないでおこう」と誰もが考えてしまいます。じっさい所有者である国、より具体的には官僚たちも、「管理の邪魔になるから部外者は入ってくるな」「教員も言われたことだけやれ」ということにどうしてもなりがちです。
私も国立大学である一橋大学に勤めていた頃は、こういったシチュエーションには何度も遭遇しましたが、ソ連は国中のあらゆるものがその状態に置かれていたのです。
分業が生むのは本当に疎外だけか
プルードンが共同労働に着目するようになった理由については、プルードン自身が日記の中で語っています。第4章で述べたとおり、プルードンは貧しい職人の子として生まれ、幼い頃から学校にもろくに通えず働きながら独学で思想家になった生粋の労働者でした。そうした苦労人の彼であればこそ、「労働の苦しみだけでなく、楽しさもよく知っている」というわけです。
そしてプルードンは、この日記の中でマルクスの分業論を名指ししながら批判したこともあります。
「マルクスは『分業は不幸を生む』と書いているがそれは違う。実際に働いたことのある者ならば、分業がそれほど単純なものではないことは知っている。
ひとつの機械を動かすのに3人の力が必要だとする。この場合、一人ひとりが自分の役割に責任を持つと同時に助け合わないと、機械に飲み込まれて大怪我をしかねない。だから労労働者たちは怪我をしないために、機械を動かすたびに、またそれ以外の様々な局面で、『大丈夫か?』などと声を掛け合うのだ。だから労働者は分業によって分断されるだけの単純な道具になるわけじゃない。それをわかっていないマルクスは自分では働いたことがないんだろう。所詮はインテリだ」── 書斎にこもってマルクスの本を読んでいるマルクス研究者の多くは、今でもマルクスの書いたことを鵜呑みにし「分業によって人間は疎外され、未熟にさせられる」と信じて疑わずにいます。
しかしプルードンはそうではありません。自分自身が労働者だった経験をもとに、分業の良い部分も悪い部分も体験的に理解していました。分業によってモノを作るプロセスの一部しか担えなくなり、不完全な存在に陥れられる面があるのは百も承知だとしても、その一方で分業によって人間が救われている面もあるということをよく知っていたのです。
しかし私は、マルクスもまたプルードンに指摘されたような彼自身の限界、弱点についてはよくわかっていたし、その弱点をズバリ言い当てられてしまったことの自覚もあったのでしょう。だからこそマルクスはプルードンを自分の人生における最大の敵と位置づけ、彼が死ぬまで敵視し、死んだ後も常にプルードンを槍玉に挙げ続けたのだと思います。
マルクスとプルードンの一筋縄ではいかない関係については、2020年に出した拙著『未来のプルードン』(亜紀書房)で詳しい内容をまとめています。
ひと昔前ならば、プルードンについて肯定的なことを書いた途端に日本じゅうのマルクス主義者から総スカンを食い「お前はまだ勉強が足りない」と自己批判を要求されたでしょう。しかし当たり前の話ですが、マルクスだって決して完全な思想家ではないのです。
SB新書 600 20歳の自分に教えたい資本論 現代社会の問題をマルクスと考える 2022年11月15日 初版第1刷発行
著 者:的場昭弘 発行者:小川 淳 発行所:SBクリエイティブ株式会社
『資本論』のここを読む
終章 資本主義のその先
プルードンの私的所有批判 『所有とは何か』について
プルードンの『所有とは何か』(1840年)は、マルクスがとても高く評価した書物で、古典派経済学は私的所有を問題にしていないというマルクスの経済学批判の基礎を作ったものでもあります。しかし、マルクスはプルードンを厳しく批判します。プルードンは所有の歴史的流れを分析していないことで、変化について十分ではないこと。マルクスは歴史的変遷を問題にします。『資本論』ではプルードンは一カ所しか出てきませんが、マルクスはプルードンを厳しく批判します。プルードンは所有の歴史的流れを分析していないことで、変化について十分ではないこと。マルクスは歴史的変遷を問題にします。『資本論』ではプルードンは一カ所しか出てきませんが、マルクスは彼の書物がほぼ出版されるたびに読み、批判しています。それは死後も続きます。
集合的労働の可能性
集合的労働について
プルードンの概念で、これをめぐって剰余価値を最初に見つけたのは誰かという問題の際に出てくるものです。ヨハン・ロードベルトゥスも同じような概念を提唱していて、1885年に『資本論』第二巻を出版した際、エンゲルスが序文で『資本論』第一巻に向けられたロードベルトゥスの批判に答えています。マルクス自身は、プルードンに対しては、先の『哲学の貧困』の中で答えたわけです。
分業が生むのは本当に疎外だけか
分業について
分業について、『資本論』第一巻では、第4編12章「分業と工場制手工業」で展開されています。ここでは分業が生み出す生産性の向上と、労働者の労働の単純化が問題になっています。そして3節でこう述べられます。「一面的機能だけを担当するという習慣によって、彼自身はこの機能を自然にそして確実に発揮するだけの一器官になり、メカニズム全体と関連することで、機械の部品のように規則的に動くことを強制されるのである」と。プルードンは、マルクスの『哲学の貧困』のプルードン分業批判に答えて、未完の『経済学ノート』に分業が労働者の意識をかえって増大させるということを書いています。拙訳マルクス『新訳 哲学の貧困』(作品社、2020年)の「解説2マルクスとプルードン」を参照してください。
『資本論』の「誤訳」
社会化と国有化について
まずは社会化と国有化の違いです。マルクス自身、『資本論』では、社会という言葉を国家と区別して使っています。とはいえ、国有と社会的所有について明確な違いを考えていたわけでもありません。パリコミュ―ンの失敗について書いた『フランスの内乱』(1871年)の中で、国家の掌握を主張し、国家そのものを解体すべきだと書いています。『共産党宣言』(1848年)でも、国有という言葉を要求項目に挙げています。『資本論』第三巻の第5編の27章「資本主義的生産における信用の役割」の中で、株式会社によって所有が私的所有から離れ、社会的所有になっていくことを描いています。国家も出てきますが、社会的(人民連合体という意味)という言葉が重要な意味をなしています。そして決定的な言葉として出ているのが、『資本論』第一巻の24章の最後の7節の「資本主義的蓄積の歴史的傾向」で、そこでは私的(Privat)所有から社会的(Gesellschaftliches)所有への変化という言葉が使われています。
慈しむことから始まる
所有と経営参加について
マルクスもプルードンが使っていたアソシアシオンという言葉を使っています。この言葉の意味は、所有という形態に参加という意味を含めて考えるかどうかという点では、マルクスは留保するかもしれませんが。プルードンは所有の社会化を経営参加、本章でいう「慈しんで」自分たちのものにするという意味として使っています。『資本論』第一巻24章では、共同所有に基づく個別的所有(individuelle)という言い方をしています。