福沢諭吉(1835〜1901)は現在進行形の経済学でも論点となっている重要課題を指摘していた。
多分渋沢栄一より財政については分かっていた。
《それ(通貨)が大切なのは、その質にあるのではなくて、働き(機能)にある。金銀と
紙とは質が異なっていても働きに何の違いもない。だから紙でも大丈夫であることには
異論のさしはさむ余地はない》  『通貨論』1878年より
原文は福沢諭吉著作集〈第6巻〉民間経済録・実業論所収。
(現代語訳は小浜逸郎『まだMMT理論を知らない貧困大国日本 新しい「学問のすゝめ」』より)
さらに、
《人民の一家ならば、貯蓄や貸金を増やすのを目的とするのも結構なことだが、
政府の経済は、たとえ負債があったとしても貯蓄は持つべきではない。
なぜなら政府は本来、元手があるわけではなく、ただ毎年国民の財を集めて、
毎年これを消費するだけのものであるので、もしも政府の財政に余裕が生じるくらいならば、
始めからこれを取りたてずに国民の手元に残しておいたほうが、経済にとり都合がよいからである。
このように一家の世帯と一国の経済は違うもので、政府が目的とするべきことは、
ただ全国の人民がその知力のあるかぎり、腕力のあるかぎり、心身を働かせて、
天然の人為を加え、それによって人間の快楽が多くなるようなそういう仕組みを作り、
また自然にそういう仕組みがある場合にはそれを妨害しないことにある。》
外債論1885年 旧全集9:47~8頁より
(現代語訳は竹森俊平著《世界デフレは三度来る 上』より)
 
 
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