高橋是清とフルベッキ
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4日NHKテレビは対照的な二つの番組を放送しました。司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」と「太平洋戦争の証言」です。前者に登場したのが高橋是清で日露戦争の戦費調達の外債募集で欧米を駆け回る姿が描かれていました。12歳で横浜で英語を学んだ是清は1867年(慶応3年)仙台藩の鈴木六之助とともに藩費留学生に選ばれ、勝海舟の息子小鹿と一緒に渡米。帰国後69年大学南校に入学。間もなくフルベッキが着任し、是清は森有礼の世話で校内のフルベッキ家の玄関番の書生になった。友人を引きいれて大騒ぎに興じる生活をフルベッキのコックが見かねて忠告したところ、そよに下宿することにした。フルベッキは叱りもせず、帰りたくなったらいつでも帰りなさいと言って、常用していた大きな革表紙のファミリー・バイブル(家庭用聖書)をプレゼントし「どんな時でも一日一回は見るようにとさとした。
下宿後も放蕩は続いたが72年反省し、大蔵省駅逓寮の前島密のもとで郵便制度創設の仕事に従事。その後またもフルベッキの屋敷に同居して家族と食事を共にしていた。グリフィスとも親しかった。それから日本銀行で働き大正・昭和には大蔵大臣を何度も務めた。1921年暗殺された原敬の後を受けて政友会総裁で総理大臣となる。そして岡田内閣大蔵大臣として1936年(昭和11)2月16日、反乱軍の銃弾によって81歳で倒れた。遺体のそばの机にはフルベッキからもらった聖書があった。敬虔なキリスト者として天に召されたのである。
この2・26事件を機に日本は皇道派の思想に傾斜し、翌年盧溝橋事件を起こし日中戦争への道をたどります。
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