冒頭でプルードン、#16でゲゼルに言及
第16章 錆びつく貨幣
○博覧強記の金融ジャーナリストが膨大な文献を渉猟し、古代バビロニアから、中・近世ヨーロッパ、現代の日本、アメリカ、欧州、中国にいたるまで、金利の歴史絵巻を豊富なエピソードでカラフルに描き出す。そして、21世紀の超低金利時代における金利の本質、金融政策の有効性を問い直す。歴史を通じて現代を問う骨太で出色の読み物。
○金利とは何か? 利子は正しいものか? 適正な金利の水準とは? 何が金利の水準を決めるのか? 金利と経済成長の関係は? 「時間の価格」ととらえるのが最も妥当である金利は、生産、消費、投資、為替レートなどあらゆる経済の動きにかかわる。
○だが、歴史上、そして現代においても、金利は幾度も大きく低下し、そのたびに経済は不安定化し、乱気流に呑み込まれてきた。1920年代の大恐慌、1980年代の日本のバブル、2008年の世界金融危機はその悲惨な典型だ。そして、中央銀行の物価安定政策のもとで、主要国の金利は歴史上かつてないほど沈み込んできた。適切な金利がなければ、生産、貯蓄、投資すべての経済行動の価値を計るモノサシを失うことになる。資本主義経済は市場が定める金利がなくても繁栄することができるのか?
〇本書は、極端な低金利は資産価格インフレをもたらすだけでなく、経済成長率の低下、不平等の高まり、債務の累積、年金危機、不動産・資産バブルなど、経済全体にいかにダメージを及ぼすかを明らかにする。著者は、中央銀行による低金利政策はその意図とは逆にかえって経済を損ない、「隷従への新たな道」につながると警鐘を鳴らす。
○金利とは何か? 利子は正しいものか? 適正な金利の水準とは? 何が金利の水準を決めるのか? 金利と経済成長の関係は? 「時間の価格」ととらえるのが最も妥当である金利は、生産、消費、投資、為替レートなどあらゆる経済の動きにかかわる。
○だが、歴史上、そして現代においても、金利は幾度も大きく低下し、そのたびに経済は不安定化し、乱気流に呑み込まれてきた。1920年代の大恐慌、1980年代の日本のバブル、2008年の世界金融危機はその悲惨な典型だ。そして、中央銀行の物価安定政策のもとで、主要国の金利は歴史上かつてないほど沈み込んできた。適切な金利がなければ、生産、貯蓄、投資すべての経済行動の価値を計るモノサシを失うことになる。資本主義経済は市場が定める金利がなくても繁栄することができるのか?
〇本書は、極端な低金利は資産価格インフレをもたらすだけでなく、経済成長率の低下、不平等の高まり、債務の累積、年金危機、不動産・資産バブルなど、経済全体にいかにダメージを及ぼすかを明らかにする。著者は、中央銀行による低金利政策はその意図とは逆にかえって経済を損ない、「隷従への新たな道」につながると警鐘を鳴らす。
二世紀近くも前の一八四九年のこと、フランスの社会主義雑誌『ラ・ヴォワ・デュ・プープル(人民の声)』誌上で、国民議会の議員二人による論争が巻き起こった。片やピエール=ジョゼフ・プルードン。今日では「財産は盗みである」のモットーで名高い、自称アナーキストにしてこの雑誌の常連寄稿者。そして片やフレデリック・バスティア。自由貿易を標榜し、公開討論用のパンフレットを発行する人物。バスティアは風刺の利いた経済寓話を書くことでも有名だった。たとえば国家による実りのない介入に反対し、「ローソク屋の陳情」と題する話を載せた。ローソク製造業者がローソクの売り上げを増やそうと、ブラインドやシャッターを閉めて陽光を遮る法律を定めてくれと陳情する、という内容だ。 このときの議論の主題は、利子の正当性についてだった。無政府主義者プルードンは昔ながらの見方をとった。いわく、利子とは「高利(usury)による略奪」である。高利は不公平な交換だ、なぜならそれを取り立てる者たちは、貸した元手を失いはしないのだから、見返りにそれ以上のものを要求する権利はないはずなのだ。利子とは「労せずして得る報酬[であり]、不平等だけでなく貧困の基本的な原因」となる1。つまるところ、とプルードンは自らの最も有名な発言をもじってこう続けた。「私は利子を〝盗み〟と呼ぶ2」 批判はそれで終わらなかった。プルードンはさらに、利子は時間がたつほど借金を増やす、だから貸し付けは時間とともに膨れ上がって地球と同じ大きさの金塊より大きくなる、と力説した3。貸し付けに利子を取ることは貨幣の循環を鈍らせ、「事業の停滞のほか、工業での失業、農業での苦境、そしてどんどん切迫する広範囲な破産」の原因となる4。利子は階級対立を煽り、生産価格を上げることで消費を抑えつける。資本主義社会では、労働者たちは自分の手で作り出した製品を買うこともできない。「利子は両刃の剣のようなものだ」とプルードンは結論づけた。「どちらの側が当たっても、相手を殺してしまう5」 このプルードンの攻撃に、なんら目新しい要素はなかった。もともとは古代に端を発する主張だった。プルードンが引用した利子を意味するヘブライ語のneschekは、語源的には「蛇のひと咬み」からきている6。レトリックもやたら大げさで繰り返しが多く、経済的分析も深いものではない。ヨーゼフ・シュンペーターは自著『経済分析の歴史』で、プルードンには分析力がまるでないと嘆いている。とはいえプルードンはいくつか独創的な提言もしていた。フランス銀行を国有化して、通貨供給量を増やし、利子率をゼロ近くまで引き下げる。本人の発案した国民銀行がその経費をまかなうために〇・五%だけ徴収する。金は紙幣に取って代わられる。さらにプルードンは資本に税をかけること(マイナス金利にあたる)を求めた。利子の低減は「たちまち計り知れない結果を共和国全土とヨーロッパ全域にもたらすだろう」。負債はなくなり、債務超過や破産が減り、消費が伸び、労働者の雇用が保障されるだろう。寄生虫じみた貸し手たちに利子を取られることがなくなれば、労働者の所得も上がるだろう7。 バスティアはこの見方にまったく与しなかった。利子とは盗みではなく、サービスの相互交換に対する公正な報酬である、とバスティアは断言した。貸し手は一定期間にわたって使用できる資本を提供する。そして時間は価値をもつ。バスティアはベンジャミン・フランクリンの『若き商人への手紙』(一七四八年)の有名な一節を引用している。「時は貴重だ。時は金なり──時は人生を形づくる材料なのだ8」。そのあとにはこう続く。利子は「自然なものであり、正当にして合法的なものである半面、それを支払う人間にとっても有用かつ有益なものだ9」。資本は生産を押し下げるどころか、労働をより生産的にする。資本は階級対立を煽るどころか、すべての人、とくに「長く苦しんでいる階級」に利益をもたらす、というのがバスティアの考えだった10。 バスティアはプルードンの構想が実行に移されたときの災難を予見していた。貸し付けによる報酬がなければ、貸し付けはなくなるだろう。資本に基づいた支払いを制限すれば、資本は消えうせるだろう11。貯蓄は消滅するだろう。プルードンの国民銀行は貸し出しを行うだろうが、銀行が貸し付けに担保を要求するなら、担保をもたない人々の暮らし向きは良くならないだろう。利子の撤廃は富裕層を利するだけだろう。バスティアはプルードンに対してこう書いている。 金持ちはたしかに無償で借りることができるが、貧困層は何をもってしても借りられなくなるでしょう。 金持ちは銀行に出向くと、こう言われるでしょう──あなたには支払能力がありますね、では、資本をどうぞ、無償でお貸しします。 ところが一労働者が勇を振るって出向いたとしましょう。彼はこう言われます、「あなたの保証はどこにあるのでしょうか? 土地は、家屋は、商品は?」 「私にあるのは二本の腕と、誠実さだけだ」[と労働者は答える] 「それでは安心できませんね、私どもは慎重かつ厳正に振る舞わねばならない。あなたに無償で貸すことはできません12」 「無償の信用を宣伝することは、労働者階級にとって災厄となります」とバスティアは結論づけた。事業の数は減るだろうが、働き手の数は変わらない。そうなると賃金は下がる。資本は国外に逃げ出す。銀行が無償で貸し出しをすれば、大量の紙幣がだぶつく。秩序は失われ、国は永遠に崖っぷちに立たされる。「無償の信用は科学的に見ても愚行であり、定着した利子への敵意と階級的憎悪、蛮行を伴うものです」とバスティアは書簡を締めくくっている。
少なくともある一点で、プルードンとバスティアの見解は一致していた。プルードンは、一八四八年革命が掲げたもろもろの目的は通貨改革で実現できると考えた。利子が一%の四分の三になれば、革命の四分の三は達成される、と言っている13。「無償の信用は、社会主義の決定的発言、決定的スローガン、決定的目標です」とバスティアは応じた。「尽きることない紙幣工場──それが解決策となる」。資本が生む利子を撤廃することは、「信用の壊滅」、そして資本の死をもたらす。 それ以前も以後も、利子に関する多くの議論と同様に、プルードン対バスティアの争いは水掛け論の典型だった14。どちらも相手の言うことを聞こうとしない。文通の口調は次第に辛辣になっていった。最後の手紙でプルードンは、バスティアの知性は眠っていると宣告し、こう結んでいる。「ムッシュー・バスティア、あなたは死人だ15」。これは真実からそう遠い論評ではなかった。バスティアは結核を患い、一年後にローマで死去した。四九歳だった。 目に見えるもの、見えないもの バスティアがこの世を去った年に、最後のパンフレットが出版された。そのなかの「見えるもの、見えないもの」と題する一文で、バスティアは商人ジャック・ボノムのたとえ話を語っている。あるとき彼の店のウィンドウが、不注意な息子のせいで割れてしまった。隣人たちは、これは悪い話ではないと考えた。少なくとも窓の修理でガラス職人には仕事ができ、その代金を食品その他の雑貨に使うことができる、と。だがジャック・ボノムのほうはこれで使える金が減ってしまった、とバスティアは言う。ここでバスティアは読者に、なんらかの経済行為が特定の受益者に及ぼす結果だけでなく、その幅広い影響を考えてみるよう促している。 経済学の領域では、ある習慣や制度、法律はただひとつの効果ではなく、効果の連鎖を生じさせる。そうした効果のうち、すぐ現れるのは最初のものだけだ。その原因と同時にあらわになる。目にすることができる。他のものは引き続いて起こるだけだ。実際に見ることはできない。予見できていれば幸運といえる。
悪い経済学者と良い経済学者の差がすべて、このときにあきらかになる。悪い経済学者は目に見える効果に頼るのに対し、良い経済学者は目に見える効果と、予見しなければならない効果をともに考慮する16。 バスティアは言う。悪い経済学者は現在のささいな利益を追求するが、将来には大きな不利益を被ることになる。アメリカ人経済ジャーナリストのヘンリー・ハズリットは、バスティアの「割れた窓」のたとえを、ベストセラーとなった『Economics in One Lesson』(一九四六年〔邦題は『世界一シンプルな経済学』〕)のなかでくわしく説明した。バスティアと同様に、ハズリットもこう嘆いている。 人間はある抜き難い傾向をもっている。なんらかの政策がただちにもたらす効果、もしくはある特定の集団に対する効果だけを見ようとし、その政策が特定の集団だけでなくすべての集団にもたらす長期的な効果を検証することを怠る傾向である。これは、二次的な影響を見過ごすという誤謬だ17。 ハズリットは当時の「新しい」経済学を批判している。このころの経済学は、政策が特定の集団に及ぼす短期的な効果のみを考慮し、社会全体に及ぼす長期的な効果を無視していると考えたのだ18。そして自ら完全雇用の「フェティッシュ」と呼ぶものを攻撃した。シュンペーターの「創造的破壊」の概念は、妨げられることなく許容されなければならない、とハズリットは書いている。健全な経済のためには、伸びゆく産業の成長を受け入れるのと同様に、死にゆく産業が滅ぶのを受け入れることも重要だからだ19。そして競争経済における価格システムを、蒸気機関の自動調節装置になぞらえた。価格の下落を防ごうとすれば、非効率な生産者が事業を続けるだけという結果になる20。 資本の需要と供給は金利によって同等になる、とハズリットは主張した。それなのに「〝過剰な〟金利に対する病的な恐怖が」政府を低金利政策へと走らせたのだ。ハズリットは書いている。金融緩和は 経済のゆがみを作り出す……きわめて投機的な、それ自体が生み出された人為的な条件の下でないと存続できないような事業を促進する傾向がある。サプライサイドでは、人為的な金利の引き下げは正常な倹約や貯蓄、投資を阻害する。さらに資本の蓄積を減らす。そして生産性の向上、つまり〝進歩派〟があれほど熱心に推進すると言いたてている〝経済成長〟を減速させるのだ21。 締めくくりにハズリットは、ウィリアム・グラハム・サムナーの有名な一八三三年の小論を引用した。そのなかでサムナーは、AとBがXを助けるための計画を立てながら、Cに及ぶ影響については無視することを説明している。Cは「忘れられた男、つまり顧みられない」人物となる。「改革者、社会投機家、慈善家の陰に隠された犠牲者だ22」 プルードンの夢が現実になる 二〇〇八年九月のリーマンショック後、新自由主義の経済学者たちは、アナーキストたるプルードンの革命的スキームを実行に移した。中央銀行が金利を過去五〇〇〇年で最低の水準まで引き下げたのだ。ヨーロッパと日本では、金利がマイナスになった──前代未聞の事態である。しかしプルードンの予想した結果にはならなかった。むしろバスティアが予言した「無償の信用」のほうが事実に近いようだ。 中央銀行家たちはウォール街に落ち着きを取り戻させたことを自画自賛した。デフレの亡霊は払拭された。失業率も急激に低下した。これらはゼロ金利の「目に見える」効果でしかない。ゼロ金利の二次的な影響はおおむね目に見えないままだった。だがそれは、見ようと思えば誰にでも見えたのだ。
二〇一二年、カナダ人経済学者のウィリアム・ホワイトは、「Ultra Easy Monetary Policy and the Law of Unintended Consequences(超金融緩和政策と意図せざる結果の法則)」と題する短い論文を発表した23。金利の急低下は各家計に、消費を増やし貯蓄を減らすよう促した、とホワイトは指摘した。未来の消費を前倒しにすることの弊害は、人々があらかじめ定めた目標のためにより多く貯蓄をしなければならなくなるということだ。それも現在の低金利を考えると、満足のいく貯えを作るにはずっと長い時間がかかるだろう。 政策当局は、低金利が企業の投資を押し上げるだろうと考えた。だがホワイトは、企業が実際には投資を控えていることを示した。そのうえ超金融緩和は、資本の配分を誤らせる原因にもなった。創造的破壊が食い止められたのだ。「金融緩和の情勢は、資本を生産性の低い資源からより高い資源へ再配分することを促すのでなく、実際には阻害している可能性がある」とホワイトは結論づけている。 超金融緩和は借入コストを下げることで、投資家に過度のリスクを取ろうとするインセンティブを与えた。その一方で保険会社や年金事業者は、低金利体制にどう対応するかで四苦八苦していた。借入コストが低いために、政府は何はばかることなく国家債務を増やしていった。結局のところ、金融緩和は清算の日を先延ばしにしただけのことだった。「景気が沈滞しているときの積極的な金融緩和は〝夢のような話〟などではなく、よくいっても経済の再均衡を図るための時間稼ぎだ。現実を見ると、その機会はただ浪費されている」とホワイトは結論づけている。ウォール街では「厄介を先送りする」という言葉が飛び交った。 ホワイトはまた、金融政策当局が超低金利からなかなか抜け出せない状況に直面する可能性にも触れている。ホワイトの二〇一二年の論文から数年後、米連邦準備制度理事会(FRB)は一時的な引き締めサイクルに入ろうとしたが、まもなく金利を正常な水準に戻そうとする試みをやめた。そして再び紙幣の印刷と金利引き下げに戻り、新型コロナウイルス感染症の流行が始まったあとには、政策金利はまたゼロまで下がった。中央銀行も信用供与で前にもまして大きな役割を果たすことを余儀なくされる、とホワイトは予想していた。これも現実のものとなった。ホワイトの予測どおり、二〇二〇年のパンデミックイヤーのあいだに、各国の中央銀行は政府支出に直接融資を行う方向へと向かった(追記「さかさまの世界」参照)。 無償の信用は労働者たちには災いとなるというバスティアの主張は、ほぼ当たっていた。サブプライムローン危機のあとで、銀行は信用度の低い個人や小企業に課す貸付金利を引き上げた。その一方で、プライベートエクイティで財をなす者をはじめとするウォール街の有力者たちは、はした金で借りることができた。危機後の一〇年間に所得はほとんど伸びず、低賃金労働が蔓延した。低所得層は高金利の債務を強いられ、預金から得る実質収益はマイナスになったが、裕福な投機家や企業は安く借りてさらに大儲けをした。 本書で扱っているのは、現代経済において金利が果たす役割だ。きっかけとなったのは、超低金利がいま私たちの抱えるたくさんの苦難、たとえば生産性向上の崩壊や手の届かない住宅、格差の拡大、市場競争の喪失、金融の脆弱性などをあと押ししているという、バスティアに似た確信である。超低金利はまた、ポピュリズムの復活になんらかの役割を果たしているようにも思える。サムナーの「忘れられた男」の忍耐が切れはじめたのだ。 本書の第Ⅱ部「低金利はさらに低い金利をもたらす」では、超低金利がもたらした意図せざる結果を検証する(第7~16章)。第Ⅰ部「金利の歴史」では場面を設定し、金利(利子)の起源を古代近東までたどり(第1章)、中世を経てヨーロッパで資本主義が誕生するまでのストーリーを追っていく(第2章)。そして金利と資本主義がいかに不可分であるかを説明する。この原理は、アダム・スミスの『国富論』が出版された一七七六年にはもう受け入れられていただろうが、過剰な金利への「病的な」恐怖というものはつねに存在していた。 一七世紀イングランドで金利引き下げを唱導した最も有名な人物は、サー・ジョサイア・チャイルドというシティの富裕な商人で、借入コストが下がることで一番利益を得られる立場にあった。チャイルドの主張に反論したのが、偉大な自由主義哲学者ジョン・ロックだった(第3章)。翌一八世紀初めにはスコットランド人のジョン・ローが、フランスに紙幣を導入し、金利を二%まで引き下げた。この壮大な金融の実験は惨憺たる失敗に終わった(第4章)。それでもローは、超低金利や量的緩和(資産買い入れ)など現代の中央銀行がとる政策を先取りしていたといえる。 一九世紀になって一部の金融関係者たちの目に、投機熱は低金利の時期と重なる傾向があることがあきらかになった。ヴィクトリア朝きっての著名な金融ジャーナリストだったウォルター・バジョットは、「ジョン・ブルは多くのことに耐えられるが、二%には耐えられない」とよく言っていた。金融パニックの際には中央銀行が無利子で貸し付けをしなくてはならない(第5章)、というルールをくわしく説明したのはバジョットだった。だが、救済のための融資は質の高い担保に対してのみ、懲罰的金利で行われるべきだとする彼のルールは、現代の「最後の貸し手」、つまり中央銀行には無視されている。 現代の中央銀行家たちは、インフレとデフレという一対の弊害に頭を悩ませる。彼らの目標は安定した物価水準を達成することだ。ところが過去一〇〇年間のいくつかの大きな信用ブームは──一九二〇年代の信用ブーム(第6章)、一九八〇年代の日本のバブル経済、二〇〇八年のリーマンショック前の世界的な信用バブル(第7章)など──インフレが落ち着いていた時期に発生したものだった。こうした例ではどれも、インフレがないことが中央銀行に金利を経済成長率より低く保つよう促した。これらの信用ブームはどれも悲惨な結末を迎えた。 第Ⅲ部「ビー玉ゲーム」では、超低金利が新興国に与えた影響について見ていく。世界の基軸通貨である米ドルの金利をゼロにした最初の効果は、新興国へと資本が流れ込んだことだった。コモディティー価格は急騰した。食料価格の上昇は二〇一一年に中東の民衆蜂起を駆り立て、いわゆる「アラブの春」の引き金となった。その二年後に連邦準備制度(Fed)が引き締めに転じると、コモディティー価格は値崩れを起こし、新興国市場は停滞状態に入った。中国では低金利が異常な信用ブームを煽りたてるとともに、史上最大の過剰投資と壮大な不動産バブルが起こった。 金利の複雑性 ここで読者の皆さんに、ひとこと忠告を。金利というものはきわめて複雑なテーマだ。その存在を説明するために、何世紀にもわたって数々の理論が提唱されてきた。一九世紀オーストリアの経済学者オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルクは、その偉大な著作『資本と利子』で、「結実論」から始まって当人が「無色論」と呼ぶ、まともに取り合うような価値のないものまで、二〇以上のさまざまな学派を挙げている*。 *「結実論」(利子は土地の賃貸料から「派生」するとされる)のほか、剰余価値(または利潤)理論、「生産論」「使用論」「節欲論」(貯蓄への刺激)「報酬理論」、搾取理論、生殖理論、ベーム=バヴェルクの多くの「無色理論」などがある。このリストに、ケインズが『雇用・利子および貨幣の一般理論(一般理論)』で展開した、資本の退蔵を抑制するために利子が必要だという考え方も加えるべきだろう。ベーム=バヴェルクはこうした利子についての説明を否定し、利子とはそうではなく、将来の消費より現在の消費を楽しもうとする人間本来の選好から生じるものだと提唱した。言うまでもなく一部の経済学者は、利子の「時間選好」説を否定している。 ベーム=バヴェルクにとって、利子は資本の配分を定め、自身が「生産時間」と呼ぶものの長さに影響を及ぼすものだった。他の著述家たちは、貯蓄(「節欲の賃金」)、金融に果たす役割(「レバレッジのコスト」)、投資の評価(「資本化率」)における利子の重要性を強調してきた。利子についての最も包括的な見解は、利子を「貨幣の時間的価値」あるいは単に「時間の価格」として捉える見方によるものだ。ほとんどの利子論は真実のすべてではないにしても、その核のようなものを含んでいる。イェール大学の経済学者で『利子の理論』の著者アーヴィング・フィッシャーは賢明にもこう言っている。「対立し、たがいを滅ぼし合うものとして提示されてきた[利子の]理論は、実際には調和し、補完し合うものだ24」 それから、金利(利子)は建物や土地という有形資本に結びついた「現実の」現象なのか、それとも「金融の」現象なのかという問いかけがある。この問いかけはもうひとつの問題を提起する。金利は「現実の」経済的要因によって決まるのか、それとも操作できるものなのか? この二つの問いかけについては、包括的な立場をとることも可能だ。現実の要因は重要である。しかし貨幣がもう実際の商品と結びついてはいない、中央銀行(「不換紙幣」を発行する)と商業銀行の融資活動で作り出されるシステムの下では、金融政策が市場金利に大きな影響を及ぼすのはあきらかに思える。近年では債券利回りがマイナスに転じることは、中央銀行が短期金利をゼロを下回る水準に引き下げたときにしか起こっていない。 金利が経済成長に関連しているかどうかも、やはり問いかけの対象となる。過去の記録を見れば、経済発展のペースと借入コストには統計的に弱い関係があることが示されている。人口動態と金利の関係も議論されている。今日でも、人口増加率の低下によって金利が下がる理由が説明できるという従来の説が唱えられている。その根拠として挙げられるのが、ここ数十年の日本が経験したことだ。しかし一部の経済学者は、日本は特殊な事例であって、世界の人口が高齢化するにつれ金利は上昇すると予想されると言っている25。 主流の経済学者たちは、金利の水準は貯蓄の需要と供給によって決まると考え、自分たちのあいだで「自然利子率」と呼んでいるものを取り上げる。この考えは一七世紀にジョン・ロックが提唱したものだ。しかし一九三〇年代に、ジョン・メイナード・ケインズとその信奉者たちは、自然利子率が完全雇用の状態で経済を均衡させるという概念を否定した。自然利子率はじかに観測することができないため、この議論に決着をつけるのは難しい。だがアダム・スミスの時代から多くの経済学者が信じてきたように、利子率が収益性と連動しているとすれば、金利と経済成長(つまり経済全体の収益率)のペースもまた連動しているはずだ26。だとすれば経済成長のトレンド水準は、自然利子率の理にかなった代用品とみなせるだろう。 そもそも現実には、無限といっていいほどの種類の利子率があるのに、利子率を単数で語ることに意味はあるのか? 短期金利に長期金利、政策金利に市場金利、無リスク金利に民間債務の金利など、いくらでもある。大企業は膨大な数のさまざまな証券を発行していて、その利回りはそれぞれ異なる。個々の国に独自の利子率があって、それはその国のインフレ率やデフォルトの歴史に大きく関わっている。利子率の差は主としてリスクと関係があり、両者の関係は時間とともに変化する。しかし無数の財やサービスの価格からなる「物価水準」を語ることが許されるのなら、利子率を広範囲に及ぶ利子率全般を論じるための略語として使うのも許されるだろう。 本書で扱う最も重要な問題は、資本主義経済は市場が定める金利がなくても適切に機能しうるのかどうかということだ。プルードンのように、利子は基本的に不正なものだとする人々は、金利の必要性を信じない。現代の金融政策当局者には、金利は主として消費者物価の水準を制御するためのレバーだとみなされている。その見方からすれば、デフレを防ぐために金利をマイナスにしても問題はない。しかしインフレの水準に影響を及ぼすことは、金利のもついくつかの機能のひとつでしかなく、それも重要さの点では最も低いかもしれない。 本書の趣旨は、金利とは資本の配分を導くために必要なものだということ、金利がなければ投資の価値を評価できなくなるということだ。「節欲の報酬」としての金利があるからこそ、人は貯蓄をしようという気になる。金利はまたレバレッジの費用であり、リスクの対価でもある。金融市場の規制という点では、金利の存在は銀行家や投資家が過剰なリスクを取るのを思いとどまらせる。外国為替市場では、金利が国家間の資本の流れを均衡させる。金利はまた所得や富の配分にも影響を及ぼす。バスティアが理解していたように、異常な低金利は貧しい層よりも信用を得やすい富裕層に利益をもたらすかもしれない。 バスティアはプルードンとの論争のなかで、時間が価値をもつことを指摘した。このテーマの主要な著者であるベーム=バヴェルクとフィッシャーは、利子は人間の本性に内在するものであり、人間は本来せっかちな生き物で、利子率は彼らの時間の選好を表していると考えた*。フィッシャーと同時代のスウェーデン人経済学者グスタフ・カッセルも、このテーマの優れた入門書の著者として、同様に「利子の絶対かつ無条件の必要性」を主張している27。さてそろそろ、読者の皆さんがしびれを切らさないうちに、本題に入ることにしよう。 *この点については、ベーム=バヴェルクは断固として譲らなかった。しかしフィッシャーは、個人の時間選好がマイナスに転じるような事態も想定できていた。たとえば所得がどんどん減っているときに、食料の備蓄が乾パンでなく腐りかけのイチジクばかりだとしたら、利子率はマイナスになるだろうと考えたのだ。
Notes
INTRODUCTION
1. Letter 3, Proudhon to Bastiat. All references to Bastiat–Proudhon correspondence in La Voix du peuple from the translation edited by Roderick Long, https://praxeology.net/FB-PJP-DOI-Intro.htm. 2. Letter 5, Proudhon to Bastiat. 3. Letter 7, Proudhon to Bastiat. 4. Letter 9, Proudhon to Bastiat. 5. Letter 11, Proudhon to Bastiat. 6. Letter 7, Proudhon to Bastiat. 7. Letter 9, Proudhon to Bastiat. 8. Letter 12, Bastiat to Proudhon. 9. Letter 1, Bastiat to Proudhon. 10. Letter 4, Bastiat to Proudhon. 11. Letter 6, Bastiat to Proudhon. 12. Letter 14, Bastiat to Proudhon.
13. Letter 9, Proudhon to Bastiat. 14. Roderick Long’s comment. 15. Letter 13, Proudhon to Bastiat. 16. ‘What is Seen and What is Not Seen’, Frédéric Bastiat, from Economic Sophisms (Indianapolis, 2016), p. 403. 17. Henry Hazlitt, Economics in One Lesson (New York, 1979), p. 16. 18. Ibid., p. 17. 19. Ibid., p. 102. 20. Ibid., p. 114. 21. Ibid., p. 186. 22. Ibid., p. 195. 23. Federal Reserve Bank of Dallas, Working Paper No. 126, August 2012. 24. Introductory comments to Irving Fisher’s The Theory of Interest (1930). 25. In their recent book The Great Demographic Reversal (Cham, Switzerland, 2020), Charles Goodhart and Manoj Pradhan claim that the mild deflation experienced by Japan in recent decades was caused not by the country’s ageing population, as many have argued, but by the impact of cheap Chinese exports, which undermined the profitability of Japanese manufacturing. Goodhart and Pradhan believe that as China’s own working population declines, this deflationary force will abate, and consumer prices and interest rates are likely to rise throughout the developed world. 26. This argument forms the basis for the Swedish economist Knut Wicksell’s hugely influential book Interest and Prices (1898). 27. Gustav Cassel, The Nature and Necessity of Interest (London, 1903), p. 95. 1. BABYLONIAN BIRTH
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