【韓国神話】 新羅の「延烏郞と細烏女」 倭の王と王妃になり、武器製造技術と絹織技術を伝える[05/28] [LingLing★]
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2024/05/28(火) 23:30:39.41ID:rB3c23Gf-延烏郞と細烏女 、倭の王と王妃になり 武器製造技術と絹織技術伝播
浦項(ポハン)市が新羅時代、延烏郎(ヨノラン)と細烏女(セオニョ)が倭に発ったところとして伝わる迎日湾(ヨンイルマン)地域に、延烏郞と細烏女のテーマパークを造成している。
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延烏郞と細烏女夫婦は、新羅の阿達羅(アダラ)王時代に倭に拉致され、小さな国の王と王妃になったという説話で伝えられている。
延烏郞と細烏女の拉致で新羅に太陽と月が消えて、暗闇が覆った。阿達羅王が延烏郞と細烏女に帰って来るよう要請したが、彼らは既に倭の王になった。王は彼らが送った絹で祭祀を執り行うと、太陽と月が再び現れたと伝わる。
学者たちは、延烏郞と細烏女が祭祀を執り行う巫堂(ムーダン)だったと推測するなど、解釈がまちまちだ。
阿達羅王当時、新羅は外勢の侵略と内紛が起きて、政治が大きく揺らいだ。結局は朴氏王朝が阿達羅時代に幕を下ろし、昔氏王朝が始まった。延烏郞と細烏女についての説話も、このような政治的な現実を隠喩して製作されたものだ。
◆神話伝説:延烏郞王になる
新羅の阿達羅王時代に、東海の海辺で延烏郞と細烏女夫婦が幸せに暮らしていた。ある日、延烏郞が海に出て海藻を採っていたが、突如、彼が座っていた岩が動き始めた。延烏郞が岩から降りる前に、岩が海の上を速く走り、いつのまにか倭にたどり着いた。
倭の人々が「おお、あなたは平凡な方ではありません。どうか我々の王になってください」と懇請した。延烏郞は彼らの切実な請いを受け入れ、倭の王になった。
一方、細烏女は海に出た夫が日が暮れても帰ってこないと、おかしな気がして海辺に出て夫を探し回った。そうしていると、岩の上に脱いでおいた延烏郞の履物を発見した。驚いた細烏女が履物を持ってよく見ていると、岩が動いて速く走り、延烏郞が留まっていた倭に到着した。
倭の人々が延烏郎にこの事実を知らせた。延烏郞が海辺に駆けつけてみると、それは他ならぬ自身の妻の細烏女だった。2人はうれしさで互いに抱擁して喜んだ。そうして細烏女は倭の王妃となった。
ところが、延烏郎と細烏女が倭に行って以降、新羅ではおかしなことが起きた。突然、太陽と月が光を失ってしまったのだ。
阿達羅王はなぜこのようなことが起きたのか不思議に感じて、星座を読んで未来を見通すことができる日官に事の顛末を調査させた。日官は「近ごろ、太陽と月が光を失った理由は、太陽と月の気運が我が国になく、倭に行ってしまったせいです」と報告した。
王は使臣を送って、2人を取り戻すように言った。しかし、延烏郎は使臣に「私がこの国に来たのは天が決めたことだから、どうやって戻ることができるだろうか。王妃が織った美しい絹をあげるから、帰ってそれで天に祭祀を行いなさい。そうすれば、太陽と月が再び光を取り戻すだろう」と話した。
使臣は延烏郞が授けた絹を持って帰ってきて、阿達羅王に顛末を報告した。王は臣下たちに命令し、延烏郎の言葉通り、天に祭祀を執り行わせた。
すると、本当に太陽と月の気運が戻ってきた。阿達羅王はその絹を国家の宝物にして、王室倉庫に保管させ、その倉庫を貴妃庫(キビゴ)と呼んだ。また、天に祭祀を執り行った場所は、迎日県(ヨンイルヒョン)または都祈野(トギヤ)と呼ばれた。
延烏郎と細烏女の説話を通じて、当時の政治的状況を調べなければならない。阿達羅王は朴氏で、新羅の始祖・朴赫居世(パクヒョッコセ)は明るい光で世の中を治めるという意味だ。太陽と月の気運が消えたということは、朴氏王朝が終わったことを意味する。
また、この時代には新羅の文化が日本より先にあったから、日本に文化を伝えることは一般的な事だった、ということを理解させる。
(省略…)
カン・シイル記
大邱日報
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