米山氏の主張はどこに問題があるのだろうか。それはまず、「富」を定義していないことであろう。しかし図1に「GDP」と書かれていることから、米山氏が意図する「富」は財貨やサービスの量であり、GDPで測られるものと考えるのが妥当である。
さて図1では、彼は(意図せざる)在庫増加を「在庫投資」とみなして、生産が行われたものとみなしている。たしかに在庫投資は、国民経済計算(SNA)の約束ごととして、GDPの生産面と支出面が常時一致するよう、投資に含められている。しかしマクロ経済学の教科書によれば、「有効需要の原理」に基づく国民所得決定理論(短期モデル)では、「製品在庫の増減がないように(在庫投資がゼロになるように)実際の生産水準が計画支出に正確に一致することが想定されている」[2]。従ってGDPや国民所得が短期均衡でどのような水準に落ち着くか、あるいは政府支出が「富」を生み出すか否かを考える上では、在庫投資を生産物に含めるのは不適切である。さらに言えば、コメの在庫が腐敗して損なわれるとすれば(同[6])、企業の純資産は▲15(金融純資産のみの▲15)となる。このことは、企業が「見込み違い」でコメを生産しすぎて、損失を出し、それが確定したことを意味する(「コメが腐敗する」想定に異議を申し立てる人もいるだろう。しかし腐敗せず保管可能な食糧としてコメを想定して、これを自動的に「投資需要」と捉えることは有効需要の理論にそぐわないので、「リンゴ」に置き換えてほしい)。
図2は、有効需要の理論を示した45度線図である。これによれば、政府が25万円分のコメを購入する場合の均衡生産量はY*(85万円)である。もし政府が25万円分のコメを購入してくれなければ、均衡生産量はY**(60万円)まで減少する。こうして生産量も雇用も賃金支払額も縮小してゆく[3]。従って、政府支出は(国債発行によるものであってもあっても)有効需要を増やすことによって、「富」(GDP)を増やすのである。従って、米山氏の主張は誤りである。
図2: 有効需要の理論を示す45度線図
朴勝俊 「米山ワールド(コメとカネの経済)に関する検討」(2024 年2 月18 日)
朴勝俊 「米山ワールド(コメとカネの経済)に関する検討(2024年2月18日)
図1 米山隆一氏のツイート
米山隆一氏が山本太郎氏を批判する記事が公表され[1]、その後、彼が自身の考えを説明するツイートを発信している(図1)。彼が経済に関する自説を、何らかの根拠を示して説明することは非常に珍しい。筆者はこの枠組みを好意的に解釈し、この世界観に則って検討する。この図解を正しく理解しうるストーリーを加え、これをバランスシート図および45度線グラフを用いて図式化し、批判的検討を加える。
米山氏が想定する経済を「米山ワールド」と呼ぶ。ここに存在する財は現金とコメだけである。現金は政府が創るものではないらしい(モデル上では、こうした想定自体はおかしいわけではない)。企業が最初から「資本金100万円」を保有しており、これを個人(全員がコメ生産労働者)への賃金にあてるのであろう(個人が最初から100万円を保有していると考えるのは奇妙である)。雇用による生産により100万円分のコメ在庫が生まれる(次頁表[1])。個人はこの100万円の所得により、コメを買い(同[2])、60万円分)、税金を支払い(同[3])、5万円分)、国債を買うことができる(同[4])、20万円分)。その結果、家計の可処分所得は95万円、金融純資産(貯蓄S)は35万円となる。政府がコメ25万円分を購入すると(同[5])、ここまでの通算として、企業は貨幣▲15、金融純資産▲15となり、コメ在庫15の価値を認めれば純資産は0となる。政府は徴税5と国債20でコメを買ったので、金融純資産▲20となり、コメの価値を認めれば純資産は5である。ここで民間の金融純資産の純増分は20である(家計が35、企業が▲15)。それに対して、政府の金融純資産は▲20(国債20)である。
このことは、「政府の赤字が民間の黒字」であることを意味している(このことは米山氏も否定していない)。政府の金融負債によって、民間に金融資産という意味での「富」が生まれたわけである。しかし米山氏は、なにか別の理由で「富が生み出されているわけではない」と主張している。
表1 米山ワールド(コメとカネ経済)の検討 (金融資産・負債表)※
※ 表の中では物資と、物資売却や労働に伴う純資産増減は括弧内に示す。用役は示さない。
プラス・マイナス記号は変化分を、▲は通算合計が負であることを示す。
米山氏の主張はどこに問題があるのだろうか。それはまず、「富」を定義していないことであろう。しかし図1に「GDP」と書かれていることから、米山氏が意図する「富」は財貨やサービスの量であり、GDPで測られるものと考えるのが妥当である。
さて図1では、彼は(意図せざる)在庫増加を「在庫投資」とみなして、生産が行われたものとみなしている。たしかに在庫投資は、国民経済計算(SNA)の約束ごととして、GDPの生産面と支出面が常時一致するよう、投資に含められている。しかしマクロ経済学の教科書によれば、「有効需要の原理」に基づく国民所得決定理論(短期モデル)では、「製品在庫の増減がないように(在庫投資がゼロになるように)実際の生産水準が計画支出に正確に一致することが想定されている」[2]。従ってGDPや国民所得が短期均衡でどのような水準に落ち着くか、あるいは政府支出が「富」を生み出すか否かを考える上では、在庫投資を生産物に含めるのは不適切である。さらに言えば、コメの在庫が腐敗して損なわれるとすれば(同[6])、企業の純資産は▲15(金融純資産のみの▲15)となる。このことは、企業が「見込み違い」でコメを生産しすぎて、損失を出し、それが確定したことを意味する(「コメが腐敗する」想定に異議を申し立てる人もいるだろう。しかし腐敗せず保管可能な食糧としてコメを想定して、これを自動的に「投資需要」と捉えることは有効需要の理論にそぐわないので、「リンゴ」に置き換えてほしい)。
図2は、有効需要の理論を示した45度線図である。これによれば、政府が25万円分のコメを購入する場合の均衡生産量はY*(85万円)である。もし政府が25万円分のコメを購入してくれなければ、均衡生産量はY**(60万円)まで減少する。こうして生産量も雇用も賃金支払額も縮小してゆく[3]。従って、政府支出は(国債発行によるものであってもあっても)有効需要を増やすことによって、「富」(GDP)を増やすのである。従って、米山氏の主張は誤りである。
図2: 有効需要の理論を示す45度線図
[1] デイリー(2024)「米山隆一氏 れいわ山本太郎代表の言説を全否定「非常に不正確」「ミスリーディングな幻想を語るのも大概に」」『デイリー』2024年2月11日
[2] 齊藤ほか(2016)『新版 マクロ経済学』有斐閣、p.147より。
[3] このことについては、ページ1のツイートには「但し、それによって消費が増え、この図では在庫投資が売れて企業にお金が渡り、次の生産・消費の拡大に繋がる事はあります」と書かれており、米山氏も正しく理解されていると思われる。
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