2024年10月14日月曜日

ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソン『自由の命運』 - 西東京日記 IN はてな

ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソン『自由の命運』 - 西東京日記 IN はてな

ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソン『自由の命運』

 『国家はなぜ衰退するのか』のコンビが再び放つ大作本。「なぜ豊かな国と貧しい国が存在するのか?」という問題について、さまざまな地域の歴史を紐解きながら考察しています。

 と、ここまで聞くと前著を読んだ人は「『国家はなぜ衰退するのか』もそういう話じゃなかったっけ?」と感じると思いますが、本書は分析の道具立てが違っています。

 前著では「包括的制度/収奪的制度」という形で国の制度を2つに分けて分析することで、経済成長ができるか否かを提示していました。「包括的制度」であれば持続的な経済成長が可能で、「収奪的制度」であれば一時的な成長はあっても持続的な経済成長は難しいというものです。

 ただし、この理論にはいくつかの欠点もあって、「収奪的制度」という同じカテゴリーに、アフリカの失敗した国家からかなりしっかりとした統治システムを持つ中国までが一緒くたに入ってしまう点です。「どちらにせよ支配者が富を奪ってしまっているのだ」という議論もできるかもしれませんが、やや乱暴に思えます。

 そこで、本書では少し違った分析枠組みが使われています。まずは上巻126pの以下の図を見てください。

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 縦軸が国家の力、横軸が社会の力で、そのバランスが取れているところに「狭い回廊(The Narrow Corridor)」(本書の原題は『The Narrow Corridor』)と呼ばれる帯状の場所があり、ここに入ることが経済成長の鍵だとされています。

 つまり、経済成長は国家の力と社会の力がバランスが取れたところに生まれ、国家と社会が互いに能力を高め合うことでそれが安定していくという考えです。

 上の図の下の方に見える「ティヴ」はナイジェリアの民族集団です。この集団ではハエ払いを持つ占い師が力を持つ者を「人肉を食べた人間」だと名指しし、名指された者が殺されるということがありました。ティヴでは、このような呪術的な方法によって飛び抜けた権威や権力者の出現を阻み、集団を維持してきましたが、そのような中で、部族の枠を超えた大きな集団が生まれ、経済が成長するということは考えにくいです。

 著者らはこのような国家が存在していないような社会を「不在のリヴァイアサン」という言葉で表しています。

 左の真ん中あたりには「中国」の文字が見えます。著者らによると、中国は国家はしっかりと存在するが、それに対抗する社会の力が弱く、国家が社会を圧倒しているような世界です。

 著者らは中国のような国家が社会を圧倒し、人々の自由を抑圧しているような社会を「専横のリヴァイアサン」と呼んでいます。ホッブズの「リヴァイアサン」の概念を考えれば、これが「正しいリヴァイアサン」のような気もしますが、自由の観点からすると、「国家がもたらす自由に関して、ホッブズはあまりにも楽観的だった」(48p)というのが著者らの見立てです。

 ちなみに『国家はなぜ衰退するのか』に比べると、宋代の成長を評価するなど、やや中国の経済成長を評価する姿勢も見られますが、全体的にはやはり辛く。第7章の文献改題では『大分岐』で知られるポメランツの議論をほぼ否定しています。

 一方、真ん中にある「足枷のリヴァイアサン」というのが理想的な状態ということになります。

 ティヴのような国家が存在していないわけでも、中国のように国家が社会を圧倒しているわけでもありません。国家と社会が拮抗しているような状態です。この両者が拮抗している本書では「赤の女王効果」と呼んでいます。『鏡の国のアリス』に「同じ場所にとどまるには思いっきり走らなくてはならない」という話が出てきますが、社会と国家がお互いに力を高め合うことが、「足枷のリヴァイアサン」、そしてそれがもたらす自由を生み出すことができるのです。

 図にもあるように「足枷のリヴァイアサン」に入る国としてはイギリスやアメリカなどがあげられています。

 『国家はなぜ衰退するのか』でもイギリスは1つのフロントランナーとしてとり上げられていましたが、本書でもそれは同じです。ただし、西欧諸国が「足枷のリヴァイアサン」の状態となった理由として、ゲルマン人の集会政治に重きをおいているのが1つの特徴です。

 西欧諸国が「足枷のリヴァイアサン」となったのは、ローマ帝国由来の国家制度とゲルマン人由来の参加型の規範と制度がうまく結合したからです。後者がなかったビザンティン帝国では「専横のリヴァイアサン」しか生まれませんでしたし、前者がなかったアイスランドでは政治的な発展はほとんど見られませんでした。

 基本的な分析の枠組みはこのようなものですが、本書の魅力は『国家はなぜ衰退するのか』と同じく、古今東西のさまざまな事例をあげながら分析を進めている点です。この豊富な事例については、「読んでみてください」としか言えないのですが、個人的に興味深かったのがインドと南米の事例です。

 本書においてインドは「社会が強すぎる」状態として捉えられてます。インドでは独立以来選挙が実施されており、「世界最大の民主主義国家」とも言われていますが、カースト制度をはじめとした因習的な制度が社会全体を覆っています。経済的取引においても、バラモンなどの上位カーストが優遇されるなど、社会の因習が効率的な取り引きを阻害しています。

 基本的には上位カーストが下位カーストを搾取しているのですが、北部のビハール州では下位カースト出身のプラサード・ヤダヴが州知事となると、カーストに属さいないムスリムと連携し、公職などから高位カーストを追い出しました。結果、技師などの高スキルの職に欠員が生じ、州政府の能力は大きく下がりました。

 インドではカースト制度という強すぎる社会の因習が効率的な政治権力の成長を妨げているのです。

 南米の国、例えば、アルゼンチンやコロンビアは本書では「張り子のリヴァイアサン」と呼ばれています。

 これは一見すると中国のような「専横のリヴァイアサン」に見えますが、官僚機構は多くのコネで任命された幽霊公務員によって占められており(給料小切手をもらうときにだけ現れる彼らは「ニョッキ」とも呼ばれる)、首都でこそそれなりの統治が行われているように見えますが、辺境の地においては国家はほとんど不在です。

 こうした国では、政府は政治家が自らや友人、支援者を満足させるための道具に過ぎず、仲間を富ませることができれば後は無関心という形になります。

 当然、インフラ整備などにも資金は回らず、コロンビアでは各都市をつなぐ道路がほとんど整備されていません。

 この「張り子のリヴァイアサン」はアフリカでもよく見られる形態になります。アフリカでも、政府は自分の支持者や部族を満足させるための道具に過ぎず、しばしば非効率な開発や、非効率な政府機構を生み出します。下巻198pに1960年当時のリベリアの主な公職の血縁関係を示した図が載っていますが、大統領、副大統領、中央銀行総裁、各国の大使といったさまざまな公職が血縁関係で辿れることがわかります。

 「張り子のリヴァイアサン」は「支配者である政治エリートを富ませる以外の能力をほとんどもたない」(下巻207p)のです。

  では、理想的な状態である「狭い回廊」に出たり入ったりすることはあるのかというと、それはあります。

 「狭い回廊」から出てしまった例の1つがナチ・ドイツです。ご存知のようにナチ党は民主的なヴァイマル憲法のもとで権力の階段を駆け上がりました。この背景として、著者らはヴァイマル期のドイツには政治エリートと社会民主党や労働者運動との間に妥協の寄りのない分裂があったことをあげています。

 ドイツのエリートは地主貴族であり、彼らは土地と権力を失うことを恐れ、労働者運動よりもナチ党を好んだのです。もし政治的エリートが商工業者であれば、労働者の生活改善は自分たちにとってもプラスだったかもしれませんが、地主たちはひたすらに自分たちの土地と権力が奪われるとこに怯えました。

 一方、「狭い回廊」に入ったのが戦後の日本です。著者らは戦前の日本を「専横のリヴァイアサン」と見ています。まずは国家がGHQ民主化され、さらにそこから生まれたリベラルな勢力と岸信介に代表される古い官僚エリートが連合することによって、安定した体制が築かれました。

 日本については簡単にしか触れられていないのですが、先ほどのドイツの例を考えれば農地改革による地主階級の没落というのも大きいのかもしれません。

 このあたりの説明はバリントン・ムーアJr『独裁と民主政治の社会的起源』に近いものがあるなと思いました。

 この他にもとにかく面白い事例がたくさん紹介されているので、相当なボリュームのある本ではありますが、スラスラと読めるのではないかと思います。理論的な枠組みも『国家はなぜ衰退するのか』の二分法よりも進展しており、『国家はなぜ衰退するのか』を読んでいたら読む必要はないという本ではないです。

 その上で、個人的に疑問に思ったのが本書の言う「社会の力」、あるいは「社会」がいかなるものなのかということ(これは「解説」で稲葉振一郎も触れている)。

 中国の社会が「弱く」、西欧の社会が「強い」というのは、何となく納得してしまうような説明ではありますが、具体的に考えようとするとなかなか難しいものがあります。それこそ、日本を含めて「封建制」を経由したことを重視する議論とも親和性がありそうですが、「封建制」由来の「社会の力」のようなものを重視すると、今度は韓国の民主化などが説明しづらくなります。

 もちろん、「封建制」などを持ち出さなくても、労働組合などの中間団体の活動などをもって「社会の力」とすることもできそうですが、そのあたりの説明はまだ詰める余地があるのではないかと思いました。

 ただ、先程も述べたようにとにかく面白い事例をいろいろと紹介してくれるので面白く読める本ではありますね。

参考

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