ノア・スミス「アセモグルとAIのマクロ経済学: 都合のいい仮定を選んで得られた結論の意義ってなんだろう」(2024年7月1日)
[Noah Smith, "Acemoglu and the macroeconomics of AI," Noahpinion, July 1, 2024]ダロン・アセモグルといえば,いままさに最盛期にある経済学者で,おそらくもっとも名声が高くて業績がすぐれている人だ.そのアセモグルは,AI がお好きじゃない.彼はまるまる一冊を費やして,AI みたいなテクノロジーの発展が大量失業や格差拡大をいかにしてもたらすかを論じ,それを防ぐために規制が必要だと主張している.ぼくは,この本をちっともよく思わなかった(日本語記事).
ただ,興味を引く点はあって,それは,AI による経済成長の加速はゼロではないまでもほんのわずかでしかない一方で人間の労働者たちは困窮させられるとアセモグルが考えている点だ.たいてい,こういう主張は「成長 vs. 格差」の構図で論じられる.でも,アセモグルの考えでは,AI によって格差は開く一方で経済成長の向上は大して起こらないと見込まれてるんだ.彼はこの論証を自著で展開してるけれど,それだけじゃなく,新しい論文ではもっと形式的な論証も提示してる.
AI によってマクロ経済に生じる影響が,タスク水準でのコスト節約/生産性向上を原動力としているものであれば,さまざまなタスクのうちどういうものが影響を受けていて,平均的なタスク水準でのコスト節約がどれくらいなのかを元に,そのマクロ経済への影響を推定できる.タスク水準での AI との接触度合いと生産性向上に関する既存の推定を用いて検討すると,そうしたマクロ経済への影響は取るに足らないものではないが控えめに見える――10年間での全要素生産性 (TFP) の向上は 0.66% にすぎない.本論文では,こうした推定すらもまだ誇大に出ている恐れがあることを論じる.初期の証拠は学習しやすいタスクで得られたものであったのに対して,今後の影響の一部は学習しにくいタスクから生じると予想されるのが,その理由だ.そうした学習しにくいタスクでは,文脈に依存した各種要因が意志決定に影響し,首尾よい成績を学習すべき客観的な結果の数値が存在しない.その結果として,今後10年で予想される TFP 向上は,さらに控えめで 0.53% 以下と予想される.また,本稿では,AI によって賃金と格差に生じる影響も検討する.本稿では,理論的に,特定タスクでの低技能労働者の生産性が向上した場合(彼らに新しいタスクを創出することなく)にも,格差は縮小するどころか拡大するかもしれないことを示す.
この論文の批判記事を書くつもりでいたら,先にマックスウェル・タバロックが批判文を出してしまった.
タバロックは,この論文が抱えている大きな問題点を指摘している.それは,恣意的に自分のモデルの半分を沈黙させることでアセモグルがこういう研究結果を得ている点だ.アセモグルは,AI には4つのことができると仮定している:
- #1: 既存タスクの労働力を置き換える
- #2: 既存タスクでの労働者の生産性を向上させる
- #3: 資本をより生産的にする
- #4: 労働者が担う新しいタスクを創出する
タバロックが記しているように,この4つのうち #3 と #4 が起こらないとただ仮定するだけでアセモグルは結果を導いている:
アセモグルのモデルでは「自動化の深化」とは,機械によってすでに遂行されているタスクの効率を上げることを意味する(…).たとえば,AI によって新しいアルゴリズムがつくりだされ,計算にかける予算は固定のままで Google の検索結果が改善して,自動化が深化するかもしれない.あるいは,従来の高価な品質管理機械に代わって視覚基盤の機械学習が用いられて自動化が深化するかもしれない.
この種の生産性向上は,経済成長にものすごく大きな影響を及ぼしうる.第二の産業革命は,大半が「自動化の深化」の成長だった.すでに自動化されていた工程が,電気・工作機械・ベッセマー製鋼法によって改善され,合衆国でこれまでで最速の経済成長率が達成された.さらに,アセモグルのモデルでは,この自動化深化は必ず賃金を上げることになっている.この点は,アセモグルが関心を集中させているケースである従来は人間が行ってきたタスクに機械による自動化が拡大していくことで賃金が下がる影響が生じる可能性と対照的だ.すでに,ロボットのトレーニング,自動運転車の操縦,クレジットカード不正利用検出の改善に,トランスフォーマーが使用されている.機会によって遂行されるタスクの生産性向上のあらゆる事例(…)
新しいタスクからえられるかもしれない経済的な利得も,アセモグルが推定している AI による生産性への影響には含まれていない.これは奇妙だ.以前,まったく同じモデルで,新しいタスクの創出とそれが経済成長にもたらす帰結を研究した論文をアセモグルは書いていたのだから.(…)生産性に生じる影響の最終的な分析に,新しいタスクから生じる利得・損失をアセモグルは含めなかった.だが,よい新タスクから生じうる利得を無視し,悪しき新タスクから生じうるマイナスの影響を導き出す大きな実証的仮定を立てるこのプロセスは,動機に引きずられた推論パターンに該当する.そして,これが論文全体で繰り返し行われている.
また,自分のモデルからこういう重要な部分を仮定によって取り去ることの正当化をアセモグルが基本的に行っていない点も,タバロックは指摘してる.
この一件から,どうやってマクロ経済学の理論家たちがどの仮定をおくか選ぶことでお望み通りの結論に基本的には到達できるのかが示されている.「AI によって経済成長は大して向上しない一方で格差が拡大する」という論文を書こうとアセモグルはのぞんでいた.そこで,他でもない自分の理論から,AI によってその逆が起こりうるのを示す部分を取り去ってすませてしまった.
この種の行いから得られた研究結果が政策立案の信頼できる手引きになるとは,考えない方がいいんじゃないかな.
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