集められた銅銭と金は大仏再建立の経費支払いのための貨幣として間接的に使用するのではなく、むしろ大仏の鋳造と鍍金をする直接の素材であったかもしれないことをうかがわせる。同じ一一八一年の兵火の後、二体の金銅の千手観音立像が鋳造され、興福寺食堂の本尊である木造の千手観音立像の内部に納入されて現存する(奈良国立博物館『平安鎌倉の金銅仏』)。
素材としての中国銭
はたして、一三世紀になると、銅銭が素材として用いられたことをはっきりと示す史料が現れはじめる。鎌倉幕府の年代記『吾妻鏡』は一二三五年六月のこととして、鎌倉の明王院で銅銭三〇〇貫を使って大きな梵鐘を鋳造しようとして一度失敗したが、さらに三〇貫を追加したところ鋳造に成功した、との記事を載せる。さらに一二四九年、安芸の厳島神社は一五二貫六〇〇文の銅銭をもって梵鐘を鋳造している(『鎌倉遺文 古文書編 補遺』巻三)。
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銅銭も商品のひとつということだ。銀行がなければ信用貨幣は機能しない。
金属貨幣は信用貨幣に内包される。対立するわけではない。
確かに通貨切り上げ切り下げについてのレイの引用は雑だ。フレデリック・マーチンの方が丁寧だしジンメルの貨幣論の方がさらにいい。
黒田氏は前著に続いて何か勘違いしている。
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https://www.amazon.co.jp/歴史のなかの貨幣-銅銭がつないだ東アジア-岩波新書-黒田-明伸-ebook/dp/B0F1TZNDYB/ref=tmm_kin_swatch_0
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#3
撰銭は通貨の流通量を減少させこそすれ増加させることはない。にもかかわらず、撰銭が米価を高騰させている、と何通は訴えた。明銭を減価させること、たとえば三枚で一文とみなすことは、明銭で支払おうとする者により多くの銭を支出させることになるから、そのことをもって物価高騰と表現した可能性はある(大田由紀夫『銭躍る東シナ海』)。しかしながら、そのように既存通貨を減価させた場合でも、文で計った通貨流通総額を減らしこそすれ増やすことはない。通貨流通総額が減っているはずなのに、戸部の方までも物価が高騰していると認識していた。考慮すべきは、上述のように、撰銭による通貨の阻滞が必需品の出回りをくじき入手をむずかしくさせた可能性である。だからこそ、生活者と政府の双方にとって由々しきこととなっていたのではなかろうか。 というのは、同様の事態が形を変えて現れているからである。一五二九年、後述するように新銭流入がより盛んになり、北京の治安をあずかる当局は新銭使用禁止の法令を出そうとする。ところが北京の金融業者たちがそれに対抗して銭市を閉鎖したところ、物価が上昇してしまう。結局、禁令は撤廃される(濱口福寿「隆慶万暦期の銭法の新展開」)。当局の新銭禁止も、金融業者たちの市場閉鎖も、どちらも通貨の流通量を減らしこそすれ、増加させるわけがない。通貨が減ると物価が下がる、というわれわれの常識を構成してしまっている貨幣数量説の枠組みを超えて、現実には、時として通貨急減は商品の出回りをくじき、かえって物価高騰という形で必需品の入手をむずかしくさせていたのかもしれない。通貨急減が物価高騰という形で現地の人々の生活に悪影響を及ぼすという事態は、時空を超えて現れることなのであるが、この点については第六章であらためてふれることとする。
撰銭は通貨の流通量を減少させこそすれ増加させることはない。にもかかわらず、撰銭が米価を高騰させている、と何通は訴えた。明銭を減価させること、たとえば三枚で一文とみなすことは、明銭で支払おうとする者により多くの銭を支出させることになるから、そのことをもって物価高騰と表現した可能性はある(大田由紀夫『銭躍る東シナ海』)。しかしながら、そのように既存通貨を減価させた場合でも、文で計った通貨流通総額を減らしこそすれ増やすことはない。通貨流通総額が減っているはずなのに、戸部の方までも物価が高騰していると認識していた。考慮すべきは、上述のように、撰銭による通貨の阻滞が必需品の出回りをくじき入手をむずかしくさせた可能性である。だからこそ、生活者と政府の双方にとって由々しきこととなっていたのではなかろうか。 というのは、同様の事態が形を変えて現れているからである。一五二九年、後述するように新銭流入がより盛んになり、北京の治安をあずかる当局は新銭使用禁止の法令を出そうとする。ところが北京の金融業者たちがそれに対抗して銭市を閉鎖したところ、物価が上昇してしまう。結局、禁令は撤廃される(濱口福寿「隆慶万暦期の銭法の新展開」)。当局の新銭禁止も、金融業者たちの市場閉鎖も、どちらも通貨の流通量を減らしこそすれ、増加させるわけがない。通貨が減ると物価が下がる、というわれわれの常識を構成してしまっている貨幣数量説の枠組みを超えて、現実には、時として通貨急減は商品の出回りをくじき、かえって物価高騰という形で必需品の入手をむずかしくさせていたのかもしれない。通貨急減が物価高騰という形で現地の人々の生活に悪影響を及ぼすという事態は、時空を超えて現れることなのであるが、この点については第六章であらためてふれることとする。
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