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参考:
カレツキ:「投資と資本家消費が利潤と国民所得を決定する」という命題 1935
http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/blog-post_17.html
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S=Iと同じ理屈↓
S = I:経済学で最も誤解されている方程式
https://themountaingoateconomics.com/2021/01/01/si-the-most-misunderstood-equation-in-economics/
S = I等式が成り立つのはどのような場合か、という話。
金融貯蓄だけであれば成り立たず、貯蓄に投資財をいれなければ成り立たない。
最後のほうでマクロ経済学者は会計を正しく理解しないで複雑なモデルをつくっている、
その間違った教材で学ぶために毎年何千人もの学生が経済学を諦めていると、
マンキューを例に挙げている。
[一つの例を考えてみよう。ラリーには支出を上回る収入があり、使わなかった所得については銀行に預けるか、あるいは社債か株式を購入するとしよ う。ラリーの所得は消費を上回っているので、彼は国民貯蓄を増やしている。ラリーは、自分ではお金を投資していると思っているかもしれないが、マクロ経済学者は、ラリーの行動を投資ではなく貯蓄だというはずである。]
マンキュー入門経済学394頁3:11:2
↑
これは典型的な間違い。
簡単に説明すると、
金融的な貯蓄だけを考えると、誰かの貯蓄は誰かの負の貯蓄になるだけ、
だけど実物的なモノを加えれば、S = Iが成り立つ。
この等式は「経済で可能な唯一の純貯蓄は実物的な貯蓄である」ということを言っている。
「投資は貸し出しによってファイナンスされるのであって、貯蓄からではない。」
https://twitter.com/dehnts/status/1485550693758820353?s=21
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1712302762/-100
簡単に説明すると、
金融的な貯蓄だけを考えると、誰かの貯蓄は誰かの負の貯蓄になるだけ、
だけど実物的なモノを加えれば、S = Iが成り立つ。
この等式は「経済で可能な唯一の純貯蓄は実物的な貯蓄である」ということを言っている。
「投資は貸し出しによってファイナンスされるのであって、貯蓄からではない。」
徴税されたお金は消えるだけ
生活保護費で初めて市中にお金が流れる
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Sutter of California: A Biography
(b) あらゆる投資率でS=Iというのは論理的にみてまったくナンセンスである。YはC+SまたはC+Iとして
定義できる。SとIは同一現象の正反対の面である。それらは均衡するのに利子率を必要とはしない。というのは、
それらはあらゆるときにあらゆる条件のもとで均衡するからである。
国債調査委員会~ケインズ卿の覚書
邦訳ケインズ全集27,445頁
445 第5章 雇用政策
一九四五年の初頭、ケインズは戦後雇用政策のある特殊な側面にいっそう関与するようになった。戦後資本課税にかんす
る文書の作成を求めるアトリー氏の要請、ならびに戦後の国債利子負担の軽減に利用できる方策についていっそう幅広い調査
を要請するジェームズ·ミードの示唆の結果として、政府は一九四五年一月に国債調査委員会を設立した。委員はサー.エド
ワード·アリッジズ(議長)、サーリチャード·ホプキンズ、サー.ハーバート·プリテイン、サー.コーネリアス·グレ
ッグ、ポール。チェンバーズ、ジェームズ。ミード、ロビンズ教授、それにケインズであった。
一九四五年三月八日、二二日、および二七日に開かれた同委員会の第二~第四回会合で、ケインズは貯蓄と投資の関係およ
び利子率構造の変化の性質と効果にかんする彼の理論、ならびに戦後の利子率政策と国債管理政策にかんする彼の提案につ
て説明を行なった。これらの会合||その議事要録も残っている|のために、ケインズはその説明の基礎として一連の手書
きの覚書を用いた。
国債調査委員会~ケインズ卿の覚書
利子率が貯藩と投資の均衡を決定する。人々がより進んで貯藩するようになり、そしてそれゆえ進んで低い利子率
を受け入れるようになるならば、それに対応した投資の増加が生じる。それゆえ貯蓄意欲の増大はより多くの投資を
引き起こすし、より多くの投資にとって不可欠のものである。ここに貯蓄の美徳がある。これにたいする疑問は次の
スタンリー·ポール·チェンバーズ(1九〇四年生)。一九三五~六年、インド所得税調査委員会委員。一九三七~四○年、イ
ンド政府所得税顧聞。一九四二~五年、内国税収入庁課長兼統計情報局長。一九四二~七年、内国税収入庁長官。一九四五~七
年、ドイツ管理委員会イギリス代表部財務部長。一九四七年、ICI社 (Imperial Chemical Industries)取締役。
2部 国内政策
446
389
諸点に起因する。
(a) それは事実に合致していない。というのは、この場合、摩擦的および季節的失業とは異なる一般的な失業はけ
っして存在していないからである。すなわち、提供しようとする仕事はつねに十分にあるからである。というのは、
それは稼得されたものは何であれ、全体としての事業がその費用をつねにカバーするように支出されたことを意味す
るからである(ここで微妙な点を説明するために立ちどまることはしない)。
(b) あらゆる投資率でS=Iというのは論理的にみてまったくナンセンスである。YはC+SまたはC+Iとして
定義できる。SとIは同一現象の正反対の面である。それらは均衡するのに利子率を必要とはしない。というのは、
それらはあらゆるときにあらゆる条件のもとで均衡するからである。
これは意思決定が異なる人々によってなされるがゆえに生じるパラドックスである。彼らが同じ結果に導かれるメ
カニズムとはどのようなものであるのか。
貯著額は所得の関数であり、所得額は生産量、すなわち消費量プラス投資量によって決定される。それゆえ、もし
投資が低下すれば、すなわち産出物のうち消費されない部分が低下すれば、所得が低下し、それゆえ貯蓄が低下し、
つねにわずかな額に至るまで正確に同額だけ低下する。
さて、この意味の反対側をみてみよう。貯蓄が投資を決定するのではなく、投資が貯蓄を決定する~~実際にはこ
れは単純にすぎるかもしれないが~~という方がずっと真実に近い。
戦争状況がこのことを明らかにしている。
もしもこれが事実であるとすれば、可能な限度をこえる投資および消費にはどのようなブレーキがかかるのであろ
うか
。。。。
カレツキ:「投資と資本家消費が利潤と国民所得を決定する」という命題 1935
http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/blog-post_17.html
0584 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/11/14 01:38:35
(カレツキはマルクス再生産表式の生産手段(生産財)部門を二つにわけることで有効需要の概念を
ケインズに先駆けて定式化した。)
参考:
カレツキ「利潤の決定要因」1935年初稿、邦訳『資本主義の動態理論』79頁〜
根井雅弘『「ケインズ革命」の群像』145頁〜
栗田康之『資本主義経済の動態』105頁〜
カレツキに関しては過去に幾つか翻訳があるし、栗田康之『資本主義経済の動態』、
根井雅弘『「ケインズ革命」の群像』がいい。後者は読みやすく安価でオススメ。
わかる現代経済学 (朝日新書) 2007/12/13根井 雅弘 (編集)でも数頁だがカレツキに
触れられている(第三章「ポスト・ケインズ派経済学」服部茂幸)。
こちらの方が初心者向け。他の一般参考書にカレツキの名がないのが残念…
ちなみに、カレツキはマルクスを礼賛しているわけではない…
《…カレツキは、以上みた論文Kalecki[1968]*の最後の部分において、マルクスの『資本論』第3巻、第15章のい
わゆる「剰余価値の実現」の問題を論じた一節「直接的搾取の諸条件と剰余価値の実現の諸条件とは同一で
はない。‥‥‥‥」を引用して、「マルクスは、明らかに、資本主義の動態に対する有効需要の影響を深く認
識していた」としつつも、「彼は、彼の再生産表式によって叙述されている過程を、有効需要の問題の帰結
として資本主義に内在する矛盾という観点から体系的に吟味することをしなかった」と、マルクスにおける
『資本論』第3巻の「剰余価値の実現」の問題=「有効需要の問題」と第2巻の再生産表式論との関連の未
展開を批判する。》
http://www.unotheory.org/news_II_8
栗田康之 :カレツキの資本主義経済論―マルクスおよび宇野理論との関連で―(PDF形式:563KB)
*("The Marxian equations of reproduction and modern economics"1968
「マルクスの再生産の方程式と近代経済学」1968,1991未邦訳)
以下、同未邦訳論文より
カレツキ「国民所得の経済表」(tableau economique of the national income)1968
___________
| 1 2 3| |
|________|__|
|P1 P2 P3| P|
|W1 W2 W3| W|
|________|__|
|I Ck Cw| Y|
|________|__|
ID:u5kQk2u7(2/5)
0585 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/11/14 01:41:15
以下、『現代イギリス経済学の群像―正統から異端へ』1989/4/27 根井雅弘
224-5頁より
* カレツキが、マルクスの再生産表式に関心を持って、マルクス研究に没頭し
た一時期があったことは、すでに本文でも述べたとおりである。では、彼はマルク
スの再生産表式をどのように自らの理論に取り入れたのだろうか。ここでは それ
を簡単に説明しておきたいと思う。
まず、経済をカレツキ的に、投資財を生産する第I部門、資本家の消費財
を生産する第II部門、そして賃金財を生産する第III部門の三つに分割しよう。
各部門の産出の価値Vは、利潤Pと賃金Wの和に等しいから、
Vi=Pi+Wi (i =1,2,3) (1)
第III部門の資本家は、産出の価値のうちのW3にあたるものをその部門内
の労働者へ、残りのP3にあたるものを第I・II部門の労働者へ販売すると考えら
れるから、
P3=W1+W2 (2)
ここで、第I部門と第II部門の産出の価値を合計すると、
V1+V2=P1+P2+W1+W2 (3)
を得るのだが、(2)式を(3)式に代入すると、次式が得られるのだが
ただちにわかるだろう。
V1+V2=P1+P2+P3 (4)
(4)式は、経済全体の利潤が、投資財の価値と資本家の消費財の価値
の和に等しいことを示している。こうして、本文で述べたような、P=I十CCと
いうカレツキの命題が得られるわけである。
Cf.,Josef Poschl and Gareth Locksley, Michal Kalecki : A Comprehensive Challenge to orthodoxy,
in J. R.Shackleton and Gareth Locksley eds.,Twelve Contemporary Economists,1981,p.157.
所得 支出
資本家の所得(P) 投資(I)
資本家の消費(CC)
労働者の所得(W) 労働者の消費(CW)
労働者はその所得をすべて消費する(すなわち、W=CW)
と仮定されているから、
P=I十CC
資本家は、利潤を決定することは出来ないがゆえに、この式は、I十CCがPを
決定することを示している。
両辺からCCを減じると、
S=I
I(投資)がS(貯蓄)を決定する。しかも、S=Iは利子率から独立している。
(同188-9頁より、一部改変)
http://www.abebooks....ailsPL?bi=8370052739
Image Not Available View Larger Image Twelve Contemporary Economists
J. R. Shackleton, Gareth Locksley Published by Palgrave Macmillan, 1981
http://byoubyou.coco...06/09/post_b710.html
カレツキの再生産表式は、マルクスの再生産表式の価値部分のみを表現しているもので、
現物部分の存在を無視している。